菊花開(きくのはなひらく)

<個室お食事処の室礼:堂本印象「国光」>

10月13日から七十二侯は「菊花開(きくのはなひらく)」で、二十四節気の「寒露」の次侯にあたります。菊が咲き始める頃という意味です。各地で菊祭りが開かれ、朝晩の冷え込みが肌で感じられるようになり、金木犀の香りが漂い始めます。

立山黒部の紅葉前線は、9月中旬の立山室堂平(2450m)付近から次第に高度を下げ、今は黒部平(1828m)付近が紅葉の見ごろです。「秋の日はつるべ落とし」と言うくらいに驚くほど日が短くなり、太陽はあっという間に沈み夜空には冴え冴えと月や星が輝く頃でもあります。

清少納言は、枕草子で「秋は夕暮れ 夕日のさして山の端いと近うなりたるに 鳥の寝どころへ行くとて 三つ四つ二つ三つなど 飛びいそぐさえあはれなり まいて雁などの連ねたるが いとちいさく見ゆるはいとおかし 日入り果てて 風の音虫の音など はた言ふべきにあらず 」と綴っています。山間の出湯に身を委ね、夕暮れ時の虫や風の音を聞きながら、枕草子の風情に触れてみるのも旅ならではの楽しみ方です。

鴻雁来(こうがんきたる)

<黒部川支流・弥太蔵谷>

10月8日から二十四節気は「寒露」となります。夜空に輝く星が冴える頃、秋が徐々に深まり夜は肌寒く、朝夕の露が一層冷たく感じられるようになります。七十二侯は「鴻雁来(こうがんきたる)」で、雁が北から渡ってくる頃という意味です。

これに対して半年前の七十二侯は「鴻雁北(こうがんかえる)」、雁が北に帰る頃で今年は4月10日でした。このように七十二侯は、季節の変わり目を気象変化や動物の行動変化で捉え、漢字3文字ないし4文字で表します。日本人の豊かな感性が育んだ暦といえます。

黒部川は、流れる水の透明度を増しながらサケの遡上を待っています。川沿いに設けられたやまびこ遊歩道には冷たい露に覆われた野菊が花を開き、紫式部の小さな実も色づき始めます。支流の弥太蔵谷に白鷺が現れるようになると、いよいよサクラマスの遡上が間近です。黒部峡谷も山粧う季節の到来となります。

水始涸(みずはじめてかるる)

<「収穫の頃」第43回春の院展:セレネ美術館蔵>

10月3日から七十二侯は「水始涸(みずはじめてかるる)」で、二十四節気「秋分」の末侯となります。収穫の秋を迎え、田圃から水が抜かれる頃という意味です。黄金色に輝いていた黒部川扇状地の田圃は、ほぼ刈り取りの終わりを告げます。

黒部峡谷・セレネ美術館の所蔵作品の中に田渕俊夫画伯の「収穫の頃」があります。画伯の愛知芸術大学教授時代に描かれた作品です。当時大学の近くの長久手に住居とアトリエを構え、周りの田圃風景を題材にした作品を多く残こされています。その代表作が「収穫の頃」です。稲を刈り取った後の藁を燃やした煙が、水平に棚引く様子は、収穫の安堵感と感謝の念が伝わってくる名品です。

セレネ美術館では、芸術の秋に相応しい黒部を題材にした数々の作品を展示しています。日本画壇の巨匠たちは、黒部の山々に分け入って取材し作品を制作しました。日本画の大作を通して黒部峡谷の魅力を感じ取っていただければ、旅の楽しさが一段と広がります。

蟄虫坏戸(むしかくれてとをふさぐ)

<客室露天風呂の源泉吐水口>

9月28日から七十二侯は「蟄虫坏戸(むしかくれてとをふさぐ)」で二十四節気「秋分」の次侯となります。集く虫たちが土の中にもぐり始める頃という意味で、虫たちの冬支度です。秋分の日を境に日一日と陽は弱く、昼が短くなります。

二十四節気「啓蟄」の初候の七十二侯には「蟄虫啓戸(すごもりのむしとをひらく)」があります。半年前の七十二候で冬眠していた生き物が、春の日差しの元に出てくる頃という意味です。蟄虫(ちっちゅう)とは地中にこもって越冬する虫のことです。季節は確実に廻っています。

宇奈月温泉では、黒部の川風で幾分か肌寒さを感じるようになりました。この時期は、早めに宿に入り露天風呂で旅の疲れをいやすのが一番のお薦めです。705号室の露天風呂は、黒部川の渕の色にも似た玉露色の陶器の浴槽です。その色調は、峡谷の木々の色合いにしっかりと融け込んでいます。源泉がほとばしる緑釉の吐水口は、信楽の陶芸家渾身の作品です。

玄鳥去(つばめさる)

<お部屋の露天風呂>

9月18日から七十二候は「玄鳥去(つばめさる)」で、二十四節気の「白露」の末候になります。春に日本にやってきた燕が、暖かい南へ帰る頃という意味です。20日は秋彼岸の入りで暑さ寒さは彼岸までの言葉通り、ようやく残暑が終わります。

燕が日本に渡ってくるのは、七十二侯の「玄鳥至(つばめきたる)」で今年は4月4日でした。宇奈月温泉で飛び交う燕は、尾羽が短い小型の岩燕です。つい最近まで黒部川の河原を飛び交っていました。黒部川の面した部屋から幾筋もの黒い線が観察でき、躍動感あふれるその姿は夏の象徴でした。その岩燕が去ると秋の気配が深まります。

陽が落ちて、草叢に集く虫の音を聞きながら部屋の露天風呂に体を沈めると、頬にあたる川風に冷たさを感じます。山間の出湯は、月影さやかな時を迎えます。延楽で至福のひとときをお過ごしください。

鶺鴒鳴(せきれいなく)

<旧山彦鉄橋:鶺鴒を観察できるは水辺の小径>

9月12日から七十二侯は「鶺鴒鳴(せきれいなく)」で、二十四節気の「白露」の次侯となります。季節は中秋で、鶺鴒が鳴き始める頃という意味です。ちなみに、秋を三つに分けると初秋は、二十四節気の立秋と処暑の期間、仲秋は白露と秋分の期間、晩秋は寒露と霜降の期間となります。

鶺鴒(せきれい)は、温泉街周辺で春から秋にかけて観察することができます。川沿いの小径や山道でチチッチチッと高い鳴き声を発して、長い尾をしきりに上下に振りながらまるで道案内をしてくれるかのように小走りに動きます。黒部の渓流沿いや宇奈月谷などの水辺に棲んでいます。 やまびこ鉄橋(黒部橋)の下の小径でよく見かけます。この鉄橋は大正11年山田胖によって架けられたわが国で最も古いスパンドレル・ブレストアーチ橋で、有形登録文化財となっています。現在、線路をはずして「やまびこ遊歩道」の一部として使われています。

鶺鴒は、古くは日本神話の国産みの神聖な鳥として日本書紀に登場します。白い鶺鴒の季語は秋で、我が国では白というと雪を連想しますが、中国では五行思想により、白は秋の色とされています。

五行思想では四季の変化は、五行の推移によって起こると考えられ、方角や色などあらゆるものに五行が割り当てられます。春は青、夏は赤(朱)、秋は白、冬は黒(玄)。四季に対応する色と時を合わせてできた言葉が、青春、朱夏、白秋、玄冬などがあります。
北原白秋の雅号はこれにちなんでいます。

草露白(くさのつゆしろし)

<朝夕の川風が冷を含むようになる>

9月7日から二十四節気は「白露」となります。白は日本人にとって雪を連想させますが、中国伝来の五行説では、白は秋の色とされています。「白露」は、秋が本格的に到来し、草花に露がつくようになるという意味です。

朝晩の気温差が大きくなると露が降り、ようやく残暑も終わりとなります。江戸時代の暦の解説書である暦便覧には「陰気ようやく重なり露凝って白し」とあります。

七十二侯は「草露白(くさのつゆしろし)」で、「白露」の初侯となります。夜間に空気中の水蒸気が冷却され、草に降りた露が白く光って見える頃という意味です。早朝、山道を行くと草露で足下が濡れます。行き会いの空は鰯雲に覆われ、冷たさを含む黒部の川風に一段と秋の訪れを感じます。黒部川扇状地では実りの季節を迎えます。夏の陽ざしを受けて大きく成長し色づいた稲が、収穫の時を待っています。

禾乃登(こくのものすなわちみのる)

<おわら風の盆:坂の町を照らす西町のぼんぼり>

9月2日から七十二侯は「禾乃登(こくのものすなわちみのる)」で、二十四節気「処暑」の末侯にあたります。禾の文字は、植物の穂の形からできており豊かな実りを象徴します。稲穂が膨らんで黄金色になる頃という意味です。

立春から数えて210日目にあたるこの時期は、「二百十日」と呼ばれ台風に見舞われやす頃でした。そのため越中八尾では風害から農作物を守るため風邪鎮めの祭りが行われるようになりました。それが「おわら風の盆」です。9月1日から9月3日まで各町内で洗練された踊りが披露されます。普段は静かな山間の坂の町に、多くのお客様が押しかけます。哀愁を帯びた胡弓が奏でるおわらの調べが、訪れる人々を魅了します。

新作おわらの代表作は、小杉放庵が詠んだ「八尾四季」です。
放庵は日光出身で大正14年(1925)に東京大学安田講堂の壁画を描いたことでも知られています。昭和4年(1929)、おわらの育成に力を注いだ初代おわら保存会会長、川崎順二に八尾に招かれます。そして翌年詠んだのが「八尾四季」です。

<八尾四季>
ゆらぐつり橋手に手をとりて
 渡る井田川 オワラ 春の風
富山あたりかあの灯火は
 飛んでゆきたや オワラ 灯とり虫
八尾坂道わかれてくれば
  露か時雨か オワラ はらはらと
若しや来るかと窓押しあけて
 見れば立山 オワラ 雪ばかり

「八尾四季」を基に若柳吉三郎が、春夏秋冬にそれぞれ異なった所作のある「四季の踊り(女踊り)」と「かかし踊り(男踊り)」を振り付けます。

放庵は、疎開のために新潟県赤倉に住居を移し、戦後もそこで暮らすようになりました。春陽会を共に立ち上げた中川一政と八尾へ行く途中、延楽に度々訪れます。その足跡が多く残っています。
放庵は八尾では鏡町の旅館「杉風荘(さんぷうそう)」に滞在します。
放庵が使用した紙は、放庵紙と呼ばれる特注の半漉きの越前和紙でした。

天地始粛(てんちはじめてさむし)

<上新町・御座敷踊り>

8月28日から七十二侯は「天地始粛(てんちはじめてさむし)」で、二十四節気「処暑」の次侯となります。

粛には、鎮まるとか弱まるとか縮むという意味あり、ようやく暑さが鎮まる頃という意味です。立春から数えて二百十日は9月1日で、台風の多い時期です。実った稲穂を強風から守るために、風を鎮める祈りの踊りが行われるようになりました。それが越中八尾の「風の盆」です。

9月1日は、関東大震災(1923年・大正12年)の起こった日でもあります。9月1日から9月3日までの三日三晩、哀愁を帯びた鼓弓の音色に乗って街流しが行われます。踊りは、農作業の所作で組み立てられ、上新町では町内の大通りを使って大輪踊りが行われます。地元の踊り手の後ろについて踊りを真似ながら、農業の所作を学のもおわらの楽しみ方です。

綿柎開(わたのはなしべひらく)

<露天風呂付き客室・706号室>

8月22日から二十四節気は「処暑」となります。処とは止まるという意味で、夏の暑さが収まるとされていますが、今年はしばらく猛暑が続きそうです。朝は、冷を含んだ川風が吹き、空には秋雲が現れ初秋を感じさせます。

七十二侯は「綿柎開(わたのはなしべひらく)」で二十四節気「処暑」の初侯となります。柎(はなしべ)とは、萼(がく)のことです。「綿柎開」は、綿の実を包んでいた萼が開き始め、中から綿毛が出てくる頃という意味です。

綿は、熱帯や亜熱帯に分布する繊維植物でアオイ科の多年草です。同じ科の木槿や芙蓉と同様夏の花です。寒さに弱いため日本で栽培されているのは、インド綿の変種の1年草です。茎の長さが1m前後になり、秋に結実した果実は卵形で褐色に熟すと割れて、中から種を包んだ白い綿花があらわれます。この綿毛を紡いで綿糸にします。

黒部の山々は、厚みのある夏雲から白い巻雲に変わろうとしています。行き合いの空は秋の訪れを感じさせます。そんな景色を望める露天風呂付きの客室があります。眺望絶佳で、眼下には岩を食む黒部川の激流を眺め、眼前には黒部の峰々を望むことができます。峡谷に轟く川の音を聞きながら湯船に浸かります。時折、爽やかな川風が頬に感じられ、至福の時が味わえます。